· 

鯱っ子日記11

皆さんこんにちは!

私の鯱っ子日記にアクセスしていただきありがとうございます。

何度目かの登場、鯱4年デミグラスソースです!

今回が最後の日記だと思うので、私が皆さんに伝えたいことをここに綴らせていただきます。

 

テレビやSNSを見ていると、多くの人たちが、“訪れるはずだった日々”が消え去ってしまったことに嘆き、苦しんでいるのを目にします。

そんな中、私の鯱人生最後の演舞の日も、今世界中を騒がせているウイルスに奪われました。

その日が当たり前に訪れると思っていたがために、その事実に、やはり私もあまり実感が湧いていません。私の鯱人生最後は呆気なく終わってしまった。そう感じます。

 

本来であれば、浜よさ練2日目だった35日木曜日。もし、浜よさ練が予定通り行われていれば、今頃隊列が完成し、踊りの質を高めるために踊り込みを行い、鯱っ子の何人かが浜よさにかける熱い想いを語っていたはずだった。集中力が切れてきたら、隣の鯱っ子と励まし合い、リピートレスポンスで溢れ返り、たまに、息で~!て声が聞こえていたのだろう。ラスト通し前には、近くの鯱っ子と連鎖を確認し、ラスト通しでは、練習中に挙がったポイントがどこからか聞こえ、幕裏で隣の鯱っ子と目を合わていたはずなのだろう。練習後には、密になって代表の話を聞き、白川公園の砂が穴という穴に入って、鼻かんだら絶対茶色いわぁとか、明日絶対筋肉痛やわぁとか、2日目終了写真撮ろ!という会話が聞こえてきていたんだろう。そう思います。

 

そんな当たり前に過ごしてきた日々が、もう訪れないんだと思うと、自分にとってはとてつもなく重大なことのはずなのに、それを悔やむ感情さえ、あのウイルスに奪われた気がします。

 

私の大学4年間を埋め尽くしてくれた鯱は、私にとって、習慣の一つで、体の一部でした。

 

そんな中、お祭りの中止を聞いた時、自分の頭に1番に思い浮かんだ言葉は、自分が初めて書いた鯱っ子日記の言葉 “これが最後” です。

どうか、この言葉を今一度、後輩の皆にも、そして、この日記を読んでくださっている皆さんにも胸に刻んでいて欲しいと思います。

 

2月のあの日“次、会えるのは浜よさ練だね”と何気なく交わした鯱っ子との会話。あの時の自分は、これが、自分にとって鯱人生最後の日だと思わずに、“これが最後” だと思わずに、思い描いていた最後の日が当たり前に訪れると思っていたから、いつも通りにその日を終えました。

 

それが、呆気なく奪われてしまった。

でもそれは、これからもあり得ることで、無いとは言い切れない。だからこそ、毎日を、今日を、今この瞬間を “これが最後” だと思いながら過ごさなければいけない。

当たり前のことが、当たり前じゃなくなるなんて簡単なことなのだから。

 

そんなことは、誰にだって、私にだってわかっていたはずなのに、人間というものはよくできていて、大切なことをわかっていても忘れてしまいがちになる。でも、だからといって、毎日を、今日を、今この瞬間を、当たり前のように、蔑ろにしてはいけない。

 

だって、その瞬間は誰に頼んでも、神様に頼んでも戻ってくることはないのだから。

 

どうか、今この瞬間から、“これが最後” だと思いながら過ごしていってほしい。とくに、“鯱っ子”というものには終わりがある。その時に、どうか悔いのないものにしてほしい。

 

それじゃあ、デミは後悔をしているの?

 

そう、聞かれれば、100%していないとは答えられない。だけど、この4年間を彩ってくれた、鯱人生に偽りはなかったと胸を張って言える。

鯱人生の最後が、例えあのウイルスのせいで呆気なく終わってしまったとしても、私は鯱で良かったと思う。鯱に出会えて良かったと思う。鯱っ子と出会えて良かったと思う。

 

それは、時々 “これが最後” ということを忘れながらも、でも時々 “これが最後” と胸に刻みながら4年間を全力で生きてきたから。

 

だからこそ、この日記を読んでくださっている鯱っ子の皆も、鯱っ子じゃない皆さんも、今この瞬間を、“2度と訪れないかけがえのない日”だということを胸に刻みながら、過ごしていってほしいなって思います。

 

時々忘れてしまうこともある、それでいい、それが人間。でも、時々思い出してほしい。

 

“これが最後” だということを。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

私がこの名古屋学生チーム『鯱』で過ごしてきた日々は、私の誇りです。

自分で言うのもなんですが、名古屋学生チーム『鯱』というチームはとても素敵で、素直で、熱いチームです。

 

どうかこれからも、応援よろしくお願い致します。